頑張ってる度合いは他からはきっとわかりにくいはずで、他の人からはそうでもないように見えても本人にしてみたらかなりいっぱいいっぱいだったりします。
なので、もっとこうしたら、とか、じゃあ次はこれをやらなきゃ、とか言われるとかなりしんどいですよね。
いや、ここまで辿り着くのにそれなりの労力使ったよ?なのにもう次のことかい……と疲弊すると同時にこれじゃあ全然足りないのか、オレって無能なんだなーと凹みます。
あとアドバイスする時にこうした方がいい的なやつなのでしょうが、枕詞に“あなたの頑張りは分かってますけど”みたいの付けられるのも私ぐらいになるとただただウザい。
もう疲れた。
そう言われる隙が自分にはあるってことなんだけど、ヤツらの相手をしなきゃいけない時点で既に消耗してるんだからそこら辺加味してもらわないとやってらんない。
育ちって大事ですよね。変えられる部分もあるかもしれないけど、認知行動療法とかが必要になるくらいの歪み具合なので、それだったら最初からまっすぐ育つようにした方が後々の面倒と労力と時間をかけないで済むよな〜。一般的な話では、です。
まあ、明確に目指してるものとかやりたいものがあった訳じゃないからそういう場合は難しいかもしれないですね。
泣きたいけど泣けないのは、目標に向かって頑張ってる人に比べたらやっぱり自分なんて頑張ってるうちに入らないな、って自覚があるからなのか。でも声も出せないくらいしんどいんだよな。
頑張ってる奴らとかマジになってダセェな、ってアレなんだったんだろうな。
それを鵜呑みにしてた自分もなんだったんだと思うけど。
そうしなきゃいけない、そう思わなきゃいけないって洗脳されてたんだろうな。
いつだったか洗脳してでもこれやらせるって言われて、あー、オレって一個の人間扱いされてなかったんだなやっぱりなんて思ったりもしました。
育ちって大事ですよね。